突如訪れる虚しさを対処する方法は2種類しかないと思う
虚しさと闘う?
これは、日々、仕事、遊び、勉強などで、自分自身を忙しくして、今を必死で生き抜くことだと思う。宇宙兄弟でも「ちょっとだけ無理なことに挑戦していこーぜ」という名言があるが、面白いことに全力投球して時間をわすれるくらい熱中できるものを探せということだろう。遊びでも勉強でも何でもいい。10年前はゲーム廃人といわれ馬鹿にされていたが、いまでは、ゲーム実況者やプロゲーマーなどといったものもある。嫌々、勉強して大学に入ったものの、やりたいことが分からなくなってしまった若者も多い。良いもの悪いものも明確に区別することは不可能である。
なので、どうすればやりたいことに時間、集中力を避けるか考えよう。
また、目標の立て方にも気を付けよう。大きい目標ではなくそれをかなえる目標もストレスにならない範囲で適当に立てて。成功しようと失敗しようとあまり気にしない。ミスったら次の目標に行けばいいだけだ。気を付けてほしいのが、大きい目標がかなってしまった場合だ。私自身大学に受かった後しばらく無気力になってしまったのは、目標をうしなったのと、成功しても心が満たされなかったからだ。目標が達成されても必ずしも幸せになるとは限らない今あるものをかき集めても幸せは作ることができる。運動した後のシャワー、三食抜いた後のラーメンなど工夫次第で幸せというものを味わうことはできるのである。とにかく、大きな目標を成功した後にも人生は続くので、そのあとにも小さい目標でいいから立てていくべきである。
面白いことが無い場合
虚しさを味わう
何もかもテキトーにやろう。この世界で重要なものなど基本的に何もない。極論仕事など変わりが効くものばかりだし、なくても生きていけるものも多い。
努力もする必要もないし、変わる必要もない。ほとんどの人が無意味に忙しいだけなのかもしれない。将来役に立たない勉強をして、学んだことを使わない会社に就職して、土日は寝て、カップ麺を食べる。忙しい仕事といっても、ほとんどが書類の整理、コピー、ハンコ、多分あんまり読まれない資料(死料)の作成とかである。
ネガティブに聞こえるかもしれないが、ストレスがないというのがどれほど気持ちいいか!
無駄な責任を背負わずに生きるのも一つの人生。本来は自分の人生の幸福以外にもてる責任などない気がする。なにもしないのも素晴らしい人生。それだと退屈だなとおもった人はたまに「虚しさと闘う?」に行けばいいし飽きたら戻ればいい。
人生の失敗の一つは、くだらないことをあたかも大事なことのように錯覚して焦り慌て、自分は不幸だと呪うことだ。そうなったらいったん深呼吸して別の事をやる。そういったいろんなところに飛び回る人生も悪くない